いきなり言われても、「は?」かもしれないけれど・・・。
リハーサルを終えて、「心が・・・足りない。」と頭を抱えた。
私はバレエの先生ではないので、いつもリハを見るときに観客の立場で見る。
技術と表現のバランスに異常にうるさい。
技術が伴わずとってつけた表現ばかりにこだわった作品は限りなくみっともない。
技術をある程度持ち合わせているのに表現の伴わない作品は、とても情けない。
人間であるなら音楽を聴いただけで心が何かを感じるのが普通だと思う。
音楽を言葉や文章で人に伝えることはとても難しいけれど、
舞台に立ち人前で歌ったり踊ったりして披露するならば、
心が感じた何かが、体から顔から指先からあふれ出てくることが最も望ましいと思っている。
表現とは取ってつけるものでもないし、人まねをすることでもない。
また見ている人に対して押し付けるものでもない。
何度も言うように「あふれ出てくるもの」だと思う。音楽は耳で聞くものではない。
心で聞くものだと私は思う。
感じる心が満タンになるから体を通して外側にあふれ出てくるものだと思う。
音楽だけではなくて人に掛けられた言葉も読んだ本も全ては、心が受け止めるものだと思う。
どうしたことか現代の人々には感じる「心が足りない」。だから外側にあふれ出てくるという
自然現象を伴わない。
日本人は古くから感情を表に出さない民族と言われてきた。
自らの意志で表に出さないのならまだいいけれど、いつの間にか感情そのものが
なくなってきたのではなかろうかとさえ思う。
何も舞台活動をしている人に特別に心が必要なのではない。
人間として社会で生きていくうえで、心はやはり必要である。
他人の言葉を心で受け止められる人は人の心の痛みも訴えも分かる。喜びを分かち合うことも出来る。
心があれば必然的にいろんな方向から物事を考えることも出来ると思う。
音楽という言葉や習慣の壁を越えた世界各国の共通の文化を心で聞くことの出来ない人には、
人の言葉もまた心で受け止めることは出来ないのではないかと、心配になってしまう。
音楽を心で聴いて心が満タンになってそれが体中からあふれてくる・・・。
普通の人よりずっと多く音楽に触れる機会のある私たちだから・・・。
訓練できるものかどうか分からないけれど、何もしないよりはやってみてほしい。
音楽や人の言葉を心で受け止める努力を・・・やってみてほしい。
BY 川留