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言葉と心

言葉は心を伝えるための道具だったはずである。だからすべての言葉に意味があり心がある。
なのに 今 言葉は その大切な意味や心を失いつつある。言葉の重みがなくなってしまった。

ファーストフードやレンタルショップに行くと心のない言葉を聴くことが多い。
心が伴わないから 私には到底通じない。こういう人たちをひとくくりに日本語の話せない日本人
と呼んでいる。質問したことに適した答えを返さない人や だんまりを決め込んでしまう人は
私にとって日本語の通じない日本人である。

レッスン前に「お願いします」 レッスン終了後に「ありがとうございました」とごあいさつがある。
ただ形式的に「お願いします」ではない。「どうぞ よろしくご指導ください。」という心が込められて初めて
「お願いします」なのである。同時に指導する側は「こんな私の指導を時間を割いてよく受けに
来てくださいました
。」と謙虚におもいつつ お互いに「お願いします」である。
「ありがとうございました」も同じで「私に精一杯ご指導くださってありがとうございました。」
との心が必要だし 指導する側も「私のような者の指導を最後まで受けてくださって
ありがとうございました
」との心があってお互いに「ありがとうございました」である。
これは「あーと」だけのことではなくて学校でもまた職場でも同じだとおもう。

私たちの世代では当たり前のことなのだけれど マニュアル世代の人にとって言葉とは
うわべであることに最近 気がついてしまった。
心の伴わない「ありがとうございます」や「お願いします」を聞くたびに悲しくも感じてしまう。
せめて「あーと」にかかわる人には言葉の大切さを知ってほしいと思う。
そして それを しっかり子供たちにも伝えてほしい。

言葉は心を伝える道具である。「ありがとうございました」は有難いと思って発しなければならないし、
「お願いします」は ゆだねたり 頼んだりする心がないといけないとおもう。

くどいようだけど言葉は心を伝える道具である。どの言葉も心を伝える道具である。
心を伝えられない道具に 必要性はない

としてもっとも大切なことは 心のある生き物であるということだと思う。
心を他人に伝えられるからこそ 心のある生き物として認められるのだと思う。

かなりしつこいけれど、 言葉は心を伝える道具である。
                                                 

                                                              BY川留
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