クラシックバレエあーとかんぱにぃホームページ

 

思い通り

   

「思いがけない出会いから3年余り。人生をこんなに自分流に生きている人を見つけさすがの私もびっくり。でもでも楽しい思いをさせていただいて九州通い、これからも負けずに自分流を共に楽しみましょう。」
昨年の暮れ、涌井先生からこんな言葉を頂いた。
涌井先生ほどの方に「自分流に生きている人」といわれ、大いにテレた。
うすうすは気づいていたけれど、やっぱり私はかなり思い通りの生き方をしているらしい・・。
人間生活を営んでいると、思い通りいかないことなど日常茶飯事。
学校でも家庭でも職場でもその他のかかわりでも何もかもがノリノリでやれることばかりとは限らない。
なのに不出来な人間である私は「思い通りに生きたい」と常に欲ばりである。
人生を素敵に生きているヒトを観察していると、自分の思いと多少のずれがあっても
実に明るくごく自然に物事を行い時には我慢をしている。
きっと同じ人間だから、たまには「嫌だな」と思うこともあるだろうに、
そんなことはまったく外に出していない。
そんな人を「出来た人」と心から尊敬している。
そういう人でありたいなと思いつつも、もともとが出来た人間ではないので
根本からそうなることは困難である。それでも、少しでも近づくために
一応の努力を試みている(あくまでも一応なので念のため)。
どんな些細な物事も自分の思い通り(予定通り)運ばないものだと
自分に言いきかせて日々を送ってみる事にした。
思い通り進んだときは、私にとって超ラッキーであって、
そうならなかったからといって落ち込んだり、腹を立てたりしないように努めている。
左脳に偏った生き物だからひとつの目的に向かって計画を立てるのは大好きである。
だから私の頭の中は常にいろんな計画でいっぱいになっている。
計画(思い)通り運ばないことにいちいち反応していたころの私は
動く地雷のようなもので周りにも異常な迷惑をかけていたように思う。
地球上の生命体である以上、どんなにいきがってみても
周りと何の関係もなく生きていくことは出来ない。
必ず何かとまた誰かとのかかわりがある。そのことにかける思いも、そのときの状況も、
それまでの環境もすべてが違うわけだからそれぞれの思い通りにいくはずはないと、
恥ずかしながらつい最近気がついた。
思い通りいかないことを当たり前と思ってみると自分の中の不平や不満が
ずいぶん少なくなったような気がする。
お陰様で今のところ、ごく普通の地雷でとどまっている(?)。
これで我慢するという能力が伴えば半人前ぐらいには成長できるのだろうけど・・・、
我慢は大の苦手である。思い通りいかなかった事についてあきらめてしまうことは出来ない。
思いがかなうまで、計画を練り直したり、じっとチャンスを待ったり、
思いつく限りのさまざまな手段を試みてみる。「あきらめない」というとカッコ良いけれど、
単に「しつこい」だけである。「ヘビ年生まれだからね」とこの頃は干支のせいにしている。
この「しつこさ」は人様にはかなりのご迷惑だと思われるけれど、
「しつこさ」は私の思いをかなえるために不可欠である。
「しつこさ」を維持するために、物事は○とか×、黒とか白とか二つに一つではないと学んだ。
限りなく黒に近い白や白に近い黒があることを知りその微妙な加減を希望につなぐ
原動力へと変化させる業まで開拓した。
ソコマデしなくても・・・と聞こえてきそうだけど、
私はもろもろの理論付けをして思いをかなえるために日夜努力を続けなければならない。
そしてかの涌井先生をびっくりさせてしまうほどの自分流を生きている(?)。
ただ、私のこの自分流の生き方に迷惑をこうむっている人たちが
今のところは目をつぶっていてくれるから出来ることである、
とたまには反省などもしている。この点についての解決策はただいま検討中である。

平成14年6月に立ち上げたの「可能性の集い」のおおよその計画は6年ほど前から構想にあった。
覚えているだけでも5~6回は倒れた計画である。そしてこれはモット大きなことへの一歩目の手段でもある。
こんな長い年月を費やして私の一生はいったいどれくらいの年月があったら足りるのだろうと思いながらも、それでもまず一歩だ、と単純なのでほくそえんでいる。

こうして、不出来なくせに欲張りな私は常に自分自身を満たし、今日も自分流を生きている。 

     

                                                                         By 川留
次へ

<<クラシックバレエあーとかんぱにぃ>> 〒891-0113 鹿児島県鹿児島市東谷山1-11-22 TEL:099-266-6234